2012年12月21日金曜日

ユーザーが亡くなったページの権利と責任は誰のもの?―法の観点から見た死とインターネット

古田雄介の死とインターネット:
 これまでたどってきたように、インターネット上にあるユーザーのアカウントやWebサイト、コンテンツなどは、外部から持ち主を特定しにくい。持ち主がそのまま亡くなったり、IDやパスワードを紛失したりすると、誰も手が出せない状態でネットを漂うことになる。

 それは、誰も権利や責任を持たない存在が生まれることと同じかもしれない。Webサイトの情報に何かしらの資産価値が発生しても、コメント欄などに個人情報が書き込まれるなどして誰かを困らせても、それらを受け止めるべき持ち主が簡単には見つからない。実際、そんな存在が無数にある。

 それでも漂っているのは無法地帯ではなく、共通のルールで整備された法治空間なのは間違いない。では、オーナーが不在となったネット上のさまざまなものは法的にどんな措置がとられるのか。インターネット業界に詳しい弁護士の落合洋司氏にうかがった。

●遺族が相続を主張できるのは、個人の著作物など限定的

 まずは権利について。ネットバンクの預金などは通常の銀行と同様の措置が取られるので、特にSNSやブログといったネットならではのデジタル資産にスポットをあてたい。

 これらの提供元には、ユーザーが亡くなった後、遺族の要望があれば身分照会のうえでデータを引き渡したり登録を抹消したりする措置に対応してくれるところもある(第1回や第3回参照)。インターネットサービスプロバイダなどの定額サービスも、遺族へのアカウントの承継を認めるものも少なくない(第6回参照)。一方で、通信の秘密と契約したサービスの一身専属性を重視して、本人以外へ権利を受け渡す規約を設けないものも多い。同種のサービスでも運営会社のスタンスによって対応が分かれるのが現状だが、法的にはどう解釈されるのだろう。

 落合弁護士は「まずはサービスを利用するためのアカウントと、故人が所有しているコンテンツそのものは切り分けて考えるべきでしょう」と語る。アカウントやIDは、サービスの運営会社が利用規約にのっとって貸し与えたものなので、ユーザー側がどうこうすることはできない。選択権は運営側にあるため、死後の措置も一般常識の範囲内(=法律の判断を仰がないレベルの常識内)でバラけるのは自然なことという解釈だ。「アカウントの一身専属性を優先するのも、遺族への承継を認めるのも利用規約の取り決めであって、法律が直接絡むわけではありません。承継する場合も、法律としての相続ではなくて、利用規約の制度上の措置というわけです」。

 コンテンツに対しては「相続の権利性があるかないかで、相続権の有無が決まります」という。例えば、自作のイラストや動画、独自の論評などをアップしていれば、それらに対して著作権を主張することができる。場が借り物であってもそこに残した作品は相続財産として認められる可能性があるわけだ。ただし、メールやメッセージのみの簡単なやりとりや、プロフィール欄のステータスといった単なるデータにまで財産権を主張するのは難しい。また、メタバース(ネット上の仮想空間)サービス内で作ったオブジェのように、サービス内でのみ表現できる作品の場合はアカウントの問題も切り離せなくなる。

 ネット上のデジタルコンテンツを法律の視点でみたとき、遺族が相続を主張できるものや範囲はそれほど多くないのが現状だ。加えて、グレーな部分も多分にあり、今後の法整備に期待されるが、きっかけとなる判例もまだない。落合氏は「今後はそうした判例が出てくる可能性はありますが、それよりも運営会社が整備を進めないといけないと思います。利用規約の死後の措置について見直したり、サービス登録時に受け継ぐ人を指定させたり、万一の際の措置をユーザーに選ばせたりして。法律の適用という方向で進めてしまうと、手続きやら何やらで複雑な話になってしまいますから」と主張する。

 近年、利用規約上でアカウントの承継を認めるサービスが増えているのも、同じ方向の現象と言えるだろう。死後に残したユーザーの権利は、法律よりもさらに内側にある業界や会社の規約の中で整えられていき、そこで判断が付きづらい状況が生まれたり、社会的な問題が発生したりした時に法整備されていくといった流れがみえる。ただし、現実的には規約を通さずにパスワードとIDを得た遺族が継続運営することが黙認される例も多い。規約によって整備される環境と規約を通さない手軽さのどちらが優先されるかという問題も今後無視できなくなるのではないだろうか。

●サイト管理人レベルの責任は誰も背負えない

 では、責任についてはどうか。放置されたブログや掲示板でよく問題になるのは、特定の誰かを誹謗中傷する書き込みだ。管理人が亡くなった後にフィッシングサイトのURLを埋め込んだスパムコメントであふれたサイトも多いし、うらみを持つ人物の実名を残して自殺した例もある。これらに対応する責任はどうなるのだろう。

 周囲に迷惑をかける書き込みがなされた場合、サイト管理人が自ら気付いたり削除依頼を受けたりして削除することになる。その管理人が亡くなって不在になった場合、措置が可能なのはブログや掲示板を提供するサービス運営会社ということになる。責任の所在も借り手から借り主に移るように思えるが、無数に提供しているブログや掲示板の内容を把握するのは不可能に近い。

 そこで2001年に「プロバイダ責任制限法」(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)が作られた。これはサービスの提供元が追うべき責任の範囲や条件を規定する法律で、大ざっぱに言えば、知らない情報に対して責任を負わせないようにしている。

 例えば、管理人が死亡したブログのコメント欄に実名付きで脅迫めいた文章が書かれた場合、誰も何も言わなければサービス提供元が知るよしはなく、仮に当人に被害が発生しても賠償責任は生じない。そこまで監視する義務はないのだ。それでも責任がゼロになるわけではなく、「権利侵害を通報されたけど、何も手を打たずに被害を拡大させたりした場合は免責されない可能性もあります」という。

 ただし、プロバイダ責任制限法にのっとった責任は、サービス提供元がサイト管理人の生死に関わらず常に負っているもの。サイト管理人が亡くなった場合、サイト管理人と同じレベルの責任を負う存在はいなくなるのだ。直接的な管理人がいないサイトが増えると、上記のような迷惑な書き込みが増えてネットの治安が悪化してしまう。韓国では韓国インターネット振興院(KISA)主導で2006年と2010年に休眠ホームページの整理をうながすキャンペーンを実施しているが、日本でも同様の取り組みが必要になるかもしれない。

 また、現在の常識から照らし合わせて何の問題のないコンテンツでも、死後何年も経ったネットの世界ではにらまれて、何かしらの対応を迫られる可能性がある。直近の典型例は「忘れられる権利」だ。犯罪歴や職歴など本人が掘り起こしたくない記録についてネット上に永続的に残ることを拒む権利で、EUでは2012年1月に概念を提唱するリリースを発表している。

 近い将来、日本国内にも浸透してくる可能性は高い。落合氏は「従来のプライバシーや個人情報保護では対応しきれない、人格権の1つとして深められていく可能性がありますね。ただ、過去を消したい人の利益と、資料性や公共的な利益が両立しない場合も出てくるので、どんどん過去の情報が消されていくという感じにはならず、程度問題で対応が進んでいくと思います」と語る。

 そうした新しい概念が広まった時、対応する管理人が不在な場合はどんな措置がとられるのか。具体的なビジョンは法律とサービス運営会社の規約の整備を待つしかない。「今は過渡期ですからね。ただ、不備があると多くの人が感じていることの取り決めは、5年後10年後と悠長なことを言ってられないでしょう」

 次回は、これまでの情報を踏まえて、ユーザーの側からみた、ネット資産に対する死の備え方をまとめたい。
参照:Business Media 誠

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