2013年3月5日火曜日

無免許運転で4人を殺しても“過失”? 「法」と「常識」はなぜかけ離れているのか

 京都府亀岡市で無免許の18歳少年(当時)が軽自動車で集団登校中の子どもたちの列に突っ込んで、2人の小学生と母親1人が亡くなった事故の裁判で、京都地検が控訴をした。


 2月19日に下された判決は、懲役5年以上8年以下の不定期刑。これはいくらなんでも軽過ぎるんじゃないの、マスコミからは「常識からあまりにもかけ離れた判決」なんて取り上げられたが、それよりも物議を醸し出したのが、遺族側が強く求めていた「危険運転致死傷罪」が適応されななかったことだ。

 16歳からバイクを無免で乗りまわし、ネットのプロフィールには「趣味はドライブ」なんて書いていたこの少年は前日からほとんど寝ないで遊び回りウトウトしているうちにアクセルを踏み込み、制限速度40キロの狭い道を歩く小学生たちを時速50キロではね飛ばした。亡くなった母親は妊娠中だった。法律的にはまだ「人」にはカウントされないが、彼は4つの尊い命を一瞬で踏みつぶしたということになる。

 誰がどう見たって「危険運転」じゃないかと思うかもしれないが、“法律のプロ”に言わせるとどう考えても「危険運転致死傷罪」にはならないらしい。

 まず、そもそも「居眠り運転」は「過失」なのでこの罪の構成要件ではない。だったら無免はどうなのさ、「危険運転致死傷罪」の中に分類される「未熟運転」にあてはまるじゃねえか、と一般人の感覚では思うが、これも検察はバッサリと斬り捨てた。

 少年には運転技能が認められ、危険運転致死傷罪の適用条件である「未熟運転」にあたらない――。

 かなり納得感の薄い説明だが、「趣味がドライブ」だけあって事故る前はちゃんと運転をしていたので未熟じゃないというのだ。無免という悪質さについては、「それとこれは話は別でしょ」となる。

 つまり、法曹界の方たちから言わせると、世間からああだこうだと批判をされているが、この裁判官はまあそこそこに妥当な判決をしている、ということになる。いや、妥当どころか、重いなんて意見もあるぐらいで事実、少年側の弁護士も控訴している。

●法曹界は「一般市民の常識からかけ離れている」

 未来のある少年に8年も奪うのはしのびない。少年院で5年ぐらい過ごせば、立派な社会人になって結婚して、家庭を築くこともできるじゃないか、と。

 被害者や遺族が聞いたら、「こいつらは人間の血が通っていないのか」と思われるかもしれないが、これまで取材でお会いした「人権派」なんて呼ばれる弁護士のみなさんは本気でそんなことをおっしゃる。我々からすれば法曹界は「一般市民の常識からかけ離れている」となるが、あちらからすると、世論やマスコミは「文句を言うなら法律の勉強をしてから言え」となる。

 この深い溝はなかなか埋められないが、ごくまれに法曹界から「常識」側にやってくる人もいる。例えば、日弁連の元副会長だった岡村勲さんもそんなひとりだ。

 彼は奥さんを殺された。証券会社の代理人をしていたとき、大損こいた男が逆恨みで家まで押し入って、対応をした奥さんを刺し殺したのだ。

 悲しみにくれる岡村さんが「極刑を」とマスコミに述べると、みんな耳を疑った。ご存じのように、日弁連というのは人権派弁護士の総本山みたいなもので、当然、死刑を「非人道的な刑罰」としてガンガン反対をしていた。そこの副会長が吊るし首にせよ、と言う。東京電力の前会長・勝俣恒久さんが「脱原発」を訴えるみたいなもんだ。

 さらに法曹界に激震が走った。岡村さんが裁判の傍聴席に、妻の遺影を持ち込んで、被告の正面に掲げたのである。今でこそ当たり前の光景だが、当時、こんな真似は日本全国どこの法廷でも許されていなかった。

 被告に不当な心理的圧力をかける、証言に影響が出るうんたらかんたら、と日弁連がイチャモンをつけて裁判所に認めるなと圧力をかけていたのだ。

 岡村さんの妻を殺した男は死刑にならず、判例に照らし合わせて無期懲役だったが、この一件で「被害者の人権」に少しずつスポットが当たり始める。光市母子殺害事件の被害女性の夫であり、被害女児の父である本村洋さんが、妻子の遺影を法廷に持ち込めるようになったのも、岡村さんが持ち込んだという先例があったからだ。

●法律を操る者たちは“社会勉強”が足りない

 “法律のプロ”たちから見れば、感情に流された岡村さんは法律家失格なのかもしれないが、世間からは多くの支持を得た。彼は後にこんなことを言っている。

 じつは私も、いわゆる「人権派弁護士」の一人だった。現行の法制度に馴れてしまい、被害者の苦しみ、権利に思いを致すことがなかった。妻を亡くして、初めて常識に立ち戻れたのだ。(Voice2008年6月号)

 現行の法制度が実は歪んでいるということを、刑務所に入って気付いた人もいる。かつて「特捜のエース」といわれた検事時代を経て、ヤメ検弁護士(検事の仕事をやめて弁護士になった人を指す)として暴力団組長などの顧問をしたことで、「闇社会の守護神」と呼ばれた田中森一元弁護士だ。

 私は、3月中旬に発売する『別冊宝島』の中で彼の監獄体験をインタビューしているのだが、そこでこんな印象深いことを言っていた。

 刑務所に入ってわかったのは、受刑者の9割が自分を冤罪だと信じているということ。それは弁護士、検察、裁判官というこの3つがどれも機能していないから不満しかない。検事をやってきた人間からするとこれは本当にショックだった。

 そもそも罪を認めていないので「反省」などできるわけがない。出所者の再犯率の高さが問題になっているが、その原因は“血の通っていない司法”にも責任がある、というわけだ。

 法律を操る者たちがあまりにも“社会勉強”が足りないのではないか――。彼らの話を聞いていると、この国の司法制度が果たして本当にまともなのかと不安になってくる。

 我々“素人”の勉強不足であるのならいいのだけれど。

参照:Business Media 誠

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